裁判員制度広報に関する懇談会(第7回)

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日時
平成18年2月24日(金)午前10時00分から12時00分まで
場所
最高裁判所中会議室
出席者
(委員)
井田 良,篠田節子,平木典子,吉田弘正,渡辺雅昭(五十音順・敬称略)
(裁判所)
戸倉審議官,河本総務局参事官,鬼澤刑事局参事官,大須賀広報課付

席上配付資料

  • 意見をお聞きしたい点(第7回)
    • 裁判員制度の意義について
      • 裁判員制度全国フォーラムの来場者からの反応の受け止め方
      • 上記反応を踏まえた裁判員制度の意義の伝え方
    • 平成18年度の広報活動について
      • 広報企画の全体像
    • 平成19年度以降の広報活動の基本スタンスについて
      • 基本スタンス
      • 広報戦略展開のポイント
  • 雑誌掲載広告
  • 裁判員制度についてのアンケート

配付資料

第7回会議録

【戸倉審議官】

ただいまより第7回裁判員制度広報に関する懇談会を開催します。
藤原委員は,御都合により御欠席と御連絡をいただいております。
本日は,平成18年度の裁判員広報の計画案について御意見をいただきたいと考えておりますが,その前に,裁判員制度のフォーラムの参加者に御協力いただいたアンケート結果を踏まえて,制度導入の意義の伝え方について,改めて御相談させていただきたいと思います。
昨年10月1日から今年1月末に全国50か所で開催した,裁判員制度全国フォーラムには,約1万8,000人の方においでいただき,アンケートに御協力をいただきました。アンケートの回収率が高く,非常に関心の高い方に来ていただいたと認識しております。今回のフォーラムは,裁判員制度はどういうものかを御理解をいただくことに重点を置いて取り組んだつもりですが,アンケート結果を見ますと,「なぜ裁判員が必要なのか。」「裁判員制度を導入するメリットよりも,むしろ裁判の質が落ちるなどといった,デメリットの方があるのではないか。」という御意見が寄せられています。
ある意味では,今回初めて具体的な形でたくさんの御意見をいただいております。これを我々がどう受け止め,今後の広報活動にどう生かすべきか,まずこの点について御意見を伺い,その上で18年度,さらに19年度の広報活動の方向性についても御意見を伺いたいと考えております。
まず最初に,フォーラムの結果等も踏まえた裁判員制度の意義の伝え方について,ただ今検討している内容を御説明をさせていただきます。

【河本総務局参事官】

裁判員制度の意義をどう考えるかという課題は,広報の節目ごとに出てくる問題だと思っております。当初,我々がどう捉えており,今の段階ではどのように考えているかを御説明させていただきます。
各地のフォーラムで制度の意義をどのように説明したかについては,資料1-2の1枚目にまとめました。これに対する反応は,資料1-2の2枚目にまとめておりますが,肯定的意見とともに否定的意見も相当数いただきました。資料1-1のQ3の結果にも表れている不安感の裏返しとも言えるかと思いますが,「紛争の当事者でもない自分たちがどうして裁判にかかわる必要があるのか。」「どうして司法が身近でなければならないのか。」といった,根本的な点に関する御意見をいただいています。
このような御意見は,今のままの裁判で困らないではないかという認識を前提として出されたものであり,多くの負担や不安があるのに,どうして国民が裁判に参加する必要があるのかという疑問に根づいているのではないかと思います。
裁判所としては,今まで御説明してきたとおり,このままの形で裁判を続けていくと裁判手続の専門化がますます進み,一般に理解困難なものとなってしまうと,事実を解明しなければならないという国民のニーズに応えることができず,いずれは裁判に対する国民の信頼が得られなくなると考えています。このような事態を避けるには,裁判を身近でわかりやすいものに変革するために国民の皆さんに裁判に御参加いただくことが一番の方策ではないかということなのですが,これをわかりやすく説明するのはなかなか難しく,まだまだきちんと伝わっていないのかなと思っています。
また,「やる気のない人も選ばれるだろう。」,「素人の方が感情に流されてしまう。」,「本来の仕事の片手間でやっても十分な判断ができない。」など,さまざまな理由から,裁判員の参加が裁判の質の低下をもたらすのではないかという御意見もいただいています。
これについては,裁判員制度が始まりますと,現在のような詳細で緻密な判決ではなくなりますが,いろいろな人生経験を持っていらっしゃる裁判員の方が評議に加わることで,本当に必要な主要事実の認定については,これまで以上に多角的な検討がされた,深みのあるものになると期待しているわけです。これは,実際に一般の方に入っていただいた模擬裁判を経験した裁判官も同じ意見です。
また,裁判がスピードアップしたり,判決の内容がわかりやすくなることから,事実関係を解明せよという,刑事裁判に対する国民のニーズにも応えることができるのではないかと考えていますが,この点についても,どうすれば実感を持っていただけるかというところが非常に悩ましいところです。
このようなフォーラムの参加者の反応や,これまで我々が考えていた意義に対する多少の考え直しも踏まえ,改めて裁判員制度の意義と効果について検討し直してみたのが資料1-3です。
今までは,公判審理を公開することや,詳細な判決を書くことなどを通じて,真相解明機能や裁判という国家機能に関する説明責任を果たしてきたと思います。一方で,専門家だけによる緻密な裁判は,かえって理解し難いものになるし,一部の事件では審理の長期化を招いてきたという実態もあります。
また,今後は,最先端の科学捜査の導入により,これまで以上に困難な問題に直面することが予想されます。その意味では,専門化がさらに進み,今でさえわかり難いものが,さらにわかりにくくなってしまうということが十分に考えられます。そうなると,裁判自体が,国民的基盤というある意味での正統性を失ってしまうことも,あり得ないではないという認識です。
このような認識に立った上で,裁判員制度を考えると,国民の皆さんに参加していただくことで,最も直接的な形で,裁判の適正さを維持し,説明責任を果たし,国民的基盤や正統性を確保できるという意味で,非常に意味の大きいものではないかというのが,現時点でのスタンスです。
制度導入の効果については,国民の皆さんに関与してもらう以上,裁判の内容が国民にとって理解可能なものにしなければならず,これがまさに導入の効果であり,かつ前提であるとも言えます。
もう1つの観点として,国民の皆さんが裁判に直接関与することを通じて,犯罪の原因・背景,刑事手続の一連の過程を知っていただいた結果,きちんと証拠に基づいて,人権その他の利益を踏まえた適正な手続に則って事実が認定され,刑が量定されていくことが,実感としてわかっていただけると思いますし,このことによって裁判に対する信頼が増すことが期待できます。
また,これは副次的効果になるのですが,法律の専門家の間では当然と考えていた事柄について,裁判員から質問・疑問が呈されることによって,改めて原点に帰って考え直すことが迫られるということもあります。
裁判への直接の影響はもちろん,それよりも国民と法律の専門家が対話して審理を行って,結論を積み重ねていくという過程の繰り返しによって,相互理解が深まり,長期的に見ると,現在とは違った裁判の姿ができあがるなり,国民的な基盤も設けられる,このようにいろいろな効果があるのではないかと考えています。
これをどのような形で国民の皆さんに伝えていけば受け入れられやすいか,また,もっと他の視点は何かないか,委員の皆様のお知恵を拝借できればと思っております。以上です。

【戸倉審議官】

8割以上の方が義務なら参加するのもやむを得ないと言っていただいているフォーラムの参加者の意見ですので,裁判員として参加することを前提にして,このような疑問が残るという御指摘をいただいたものと考えています。これをまず我々がどう受け止め,どのような形で対応し,どう情報を提供していけば御理解をいただけるのか,まず御意見を伺いたいと思います。

【篠田委員】

アンケートの答えは質問事項によってある程度決まってくるところがあり,その質問事に対し選択する形での答えしか出てこないので,何を質問するかは重要だと思いました。
例えば,資料1-1のQ1ですが,刑事裁判への参加のメリットという,実施する前から結果がわかっていそうな質問があります。選択肢は1から10までありますが,1から8について見ると,「裁判が身近なものになっていくメリットがいかにあるとあなたは考えますか。」というほぼ同じ趣旨のことを聞きたくて,異質の質問は2と4に入っています。そして,2は2つの要素を含んだ質問が1つ選択肢の中に入っています。一つは,裁判が身近なものになるという,他の質問と同じ内容で,もう一つは,裁判に対する信頼感に関する問い。4は,社会正義の実現という形で,現行の裁判以上の信頼感が得られるか否かを問うているのだと思います。これらをグラフで見ると,2と4は,27.1%と23.6%と低くなっています。
別の方向から見ると,現行の制度に対して,いかに多くの人が信頼感を持ち,社会正義の実現という点で肯定的に見ているか,ということの裏返しになっている答えと言えるのではないかと思います。
Q3は,1から14まではグルーピングできるものです。1は漠然とした不安感で,2と3は人の人生に係わる恐れというものにまとめられてしまうのではないでしょうか。4から7については,裁判に関わるに当たっての自分の能力に対する不安で,2・3と4~7はかなり性質の異なる不安感だと思います。8は2・3に深く関わっていて,2・3の裏返しの答えのように見えます。報復が現実に起こるか否かというよりも,2と3の人の人生にかかわることの恐れの裏返しとして,一種の罪悪感に似たような恐さがあり,これが不安感という形で出てきているのではないかと思います。この3つはまとめられるだろうと思います。9~14は,生活上の支障,実際にどういう支障をきたしているかで,大きく3つに分けられる質問だと思いますが,こうして見ると突出しているのは,気分的なもの,つまり,人の人生にかかわってしまう恐れということになると解釈しました。
Q4は,裁判について望むこととなっています。1・2については生活上の支障,つまり,日常生活とどう折り合いをつけて裁判に出てくるかということで,これはQ3と対応しており,回答数は少なくなっています。3~10は能力的なものから派生する希望で,11は特殊なものだと思います。これは意欲を持っている方が,どうやって自分の意見を取り上げてもらえるのか,という可能性の上に立った要望と見られるのではないかと解釈出来ます。
そういったところから,資料1-2の否定的な意見を見ていくと,司法が身近でなければならない理由がわからないのは,人の人生に関わることの重大さ,不安や恐れからできれば自分ではなくて,専門家にやってほしいということなのではないでしょうか。つまり,能力が高いというだけではなくて,身分的にも保障されている方が裁判をするということは,その身分の中で行動することによって,個人として他人の人生に関わることへの根源的な恐れのようなものを払拭しているということなのだと思います。
ただ,今の裁判に問題がないわけではない。時間がかかる,判決がよくわからないという問題はあり,具体的問題点は何か説明してほしいという声が,たくさんあるということはとてもよくわかります。
吉田委員から今までもご指摘がありましたが,現行の裁判制度ではなぜ悪いのか,裏返しにすると,これだけ信頼性の高い裁判を行ってきているにもかかわらず,なぜ我々が関わっていく必要があるのか,ということが問われているのではないでしょうか。自分よりももっと信頼のおけない人々が,裁判に関わることへの疑問もあると思うので,現行の裁判制度に具体的な問題がない限りはやめてほしい,これを見た限りはそう考えていると思えます。
現行の制度に問題点がないわけではないけれども,制度導入の意義はもっと理念的なものなのだという御説明がずいぶんありましたが,現行の制度でこれだけの問題があったということは,裁判所側としては説明しにくいですし,立場として言えないことがたくさんあるかと思います。裁判が長期化することの障害,判決が出ても国民の納得が得られない。これからは,そういった具体例をあげて説明していかないと,なかなか説得してもらえないのではないかという気がします。
このような内容は,裁判所で広報するわけにはいかないでしょうから,新聞,雑誌のような,外部メディアを活用して問題点を浮かび上がらせる,外側からの,現行裁判制度に対する批判的な意見を積極的に利用していく,というのも,一般の人々を説得するには良い方法ではないでしょうか。
現行制度の具体的な問題は何か,説明して欲しいという要望が多いのであれば,やはりもう少し説明した方が説得力があるのではないか,とアンケートの結果を見た限りは思いました。

【戸倉審議官】

今の制度の結論や適正さに何か問題があり,それを改めるための裁判員制度であるという説明は,審議会でも議論はされていませんし,実証的にそのような話が出ているわけでもありません。仮に内容の適正さの問題があったとき,裁判員制度がそれを改善するのに適した方法であるという効果が検証されているものでもないわけです。
しかし,河本から申し上げましたように,裁判の運営全般を見ると,かなり正確性を追求し,専門家がとことん議論を極めた結果,非常にわかりにくいものになってしまっているということを我々は深く反省しなければいけないと思っています。
医者も,患者さん,裁判でいいますと当事者に,説明責任を果たしていく時代で,そうしなければ何らの説明のない医療に対して感じられた危機感と同じような危機感を我々裁判所に対しても持たれることになるのではないか。そういう問題意識を常に持っております。
今,篠田委員がおっしゃったとおり,自分のことではないという消極的理由も1つあるとは思います。しかし,抽象的には司法というものがもう少し身近でわかりやすくなくてはならない。そのニーズはあるのではないかと思っていますが,その辺りはいかがでしょうか。

【平木委員】

難しいですね。参加者が反応なさったことは,正直なところ,国民の皆さんが同じように考えるのだろうと想像します。
裁判は身近でなかったから多くの人が知らない,お任せしていたから身近でなかった。身近でなくても自分の生活は困らないので,身近でなくてよかったのに,なぜ身近にしたのかと感じているわけです。
つまり,この制度によって,いきなり人の人生,生死に関わることになってしまう。関係ないと言っていたかったのに,関係があることになってしまった。このギャップを埋めるのは国民にとっては大変なのでしょう。
検事になるのはいやで,弁護士になりたいという人たちの心理と似ていると思います。人の生死,今まで自分の家族についてもそのようなことを考えなくてよかったのに,なぜいきなり他人の生死に関わらなくてはならないのか。このような心理があることがとてもよくわかります。
もう1つは,日本のカウンセリングがどのように発展し,定着してきたかを考えることと,この裁判員制度に国民が感じていることは重なるところがあるような気がします。
日本人の裁判のイメージは,大岡裁判などに代表されるようなものです。賢明で,公正で,人情味あふれる人が,だれもが納得することを言ってくれる,そういう人が裁判をするべきだ,というイメージがあります。私たち庶民は,賢明でもなければ,公正でもない。怒ったり,腹を立てたり,人の足を引っ張るようなことを考えたりする庶民が,裁判という場に出て行ってよいのか,というな疑問のような気がします。
また,日本は小さな島国で,多民族国家でもない。多様な考え方をしている人たちはいない上に,鎖国が300年も続いた。こういう国であることによって,同族意識がとても強いのです。違う考えを持っている人たちがたくさんいて,とても困ったという歴史は,あまり持っていませんし,他の国のように,侵略された歴史を持っていません。例えば,明治維新と終戦は,両方とも非常に大きな改革であったのに,天皇を連れてくること,アメリカが天皇をそのまま象徴的に置いておくといった決着になっており,日本という国は偉い人が統べていくという歴史があります。明治維新も終戦もいろいろなことがあったけれども,最終的に日本人は,あれはよかった,上から改革してくれた,という感覚なのだと思います。だから,裁判も上の人がやればよいだろうという感覚があるのではないかと思われます。別の言い方をすると,民主主義が根づくのが,なかなか難しいのではないかという気がしています。
そこをどう掘り起こすかが課題だと思います。いろいろな人たちが,いろいろな場面で,さまざまなことを考える必要があるし,考えているはずなので,これから一部の専門家が裁判をやっていたってだめだということをずっと言い続けなくてはならないのだと思います。

【吉田委員】

アンケート結果は,男性,女性,年代別,職業別で分類されています。会社員あり,公務員あり,主婦あり,無職ありと職業にもいろいろあります。すべての人に共通する事項と,そうでない事項,例えば,会社員であれば裁判員になることが仕事の予定とバッティングするが,主婦はそういうことがないなど,いろいろ分析方法はあると思います。
Q3の10の「仕事を休むことについて勤務先の理解が得られるかどうかわからない」,「収入がなくなる」,という答えは,仕事を持つ人の話でしょう。Q3の12の「介護のため,家をあけられない」は,介護をしている人にとっては大変重要な話ですが,そうではない一般の人は,それほど関心がないと思います。ですから,クロスして分析すると,もう少し深みが出るのかなと思います。

【戸倉審議官】

仕事を休むことについて,勤務先の理解が得られるかどうかを心配している人を職業別で見ますと,会社員は40.9%の方が問題としてあげておられます。会社員の中ではかなり高い割合の方が指摘されている問題です。その次に高い割合でこの問題を挙げているのは学生です。これから就職することが多少影響しているのかもしれませんが,30%を超えています。
まさに吉田委員ご指摘のように,階層別にクロスして分析しないと,なかなか実態がつかみにくいと思われます。

【河本総務局参事官】

偏差が均分に集まっているかどうかということも,意味を持っていると思いますので,そこからも分析してみたいと思います。

【吉田委員】

参加の意義についてお話がありましたが,立法・司法・行政とよく言われますが,立法への国民参加は,端的な例は選挙です。行政でも,最近では計画づくりで市民の意見を聞くという形で参加という形が出てきました。国民が参加したことによって,立法であれば政治がどう変わっていくか,自分が投票した政党の党勢がどうなる,政権がどうなる,政策がどうなるかなど,このようにつながってくるのでわかりやすいものです。行政も総合計画を作るときにいろいろな意見を聞いて,それを反映するなど参加の結果がわかりやすい。
司法を今回やるわけですが,自分が参加することによってどういうふうに変わっていくのかについて,もう少しわかりやすいものがあるとよいと思います。理念先行的なところがたくさんあり,裁判がわかりやすくなるというのは一種の効果ではありますが,そのためにやるという話でもない。そこのところのつながりがもう少しはっきりするとよいのかなという気がします。
行政や立法に比べて,司法への国民参加である裁判員制度は,負担が非常に大きいのではないかと思います。立法では選挙の投票日に行って投票すればよい。行政にしても,公聴会に行ったり,審議会に出るといったことで済みます。それに比べてこちらは,1つの事件を相当精力的にやっていくことになります。行政や立法に比べて,なじみのない司法に,突然大きな負担を持って入っていくところが他とは違う面があるのではないかと思います。

【渡辺委員】

Q&A方式でとられたアンケートについて,篠田委員に非常にわかりやすく整理していただきました。Q3の回答で2,3の数字が高いのは,ある意味では当たり前と言いますか,裏返して言えば,このフォーラムに参加した方の健全さを示しているのではないかと思います。
人の人生にかかわることへの恐れ,とりわけ刑罰を科すことの重みを自覚していない人に裁判員になられても困るなという気がします。ですから,この数字を減らしていこうとか,その方向でいかに広報戦略を練るべきか,そういったことは考える必要はないのではないでしょうか。この数字の重みをしっかり受け止めつつ,こうした懸念を持つ方にこそ裁判員になっていただくことによって,よりよい裁判が実現されるのだ,というくらいのとらえ方でよいのではないかと思います。
2や3と答えたからといって,その方が「私は裁判員制度には絶対に協力しない,参加しない」という事態には直結しないのではないでしょうか。尻込みしたり,躊躇したりすることはあるかもしれませんが,「裁判所に来てください」と言われても行かない・行けないといった行動に直接結びつくのは,むしろ日常生活上の支援とか,仕事への影響とか,そういったことが原因になるのではないかと思います。
もちろん,理念面からも理解を得る努力を当然していかなければいけません,これについては,愚直に訴えていくしかないのではないかと思います。
以前申し上げたことの繰り返しになりますが,実際に司法参加を経験されたことのある方たちに,その体験をいろいろな場面,いろいろなルートで伝えていただくことに,大きな意義があるのではないかという気がします。と言っても,昭和の陪審員を経験した方にお話しいただくのは難しいでしょうから,やはり検察審査会で審査員を経験された方たちが有力候補かな,と。そうした方々の経験を読んだり聞いたりすると,多くの人が「審査員になるのは,最初は嫌だったし,躊躇もあり,恐れもあったけれども,やってみたら大変やりがいを感じた,自分自身にとっても意味があった」という趣旨のことをおっしゃっています。そのような方たちから,生の言葉で話していただく。政府や裁判所の偉い人が説明するのも大切だと思いますが,同じ市民,同じように迷い,戸惑いがあった人たちから,どういう経験をされたのかを伝えていただくのは,胸への響き方が違います。そういう場をいろいろな形で作っていくことに意味があるのではないかと思います。
あとは,実際にこの制度が始まった後,裁判員として参加した方たちが,その体験をどう伝えていくのか,社会でどう共有化されていくのかということがカギになるように思います。その積み重ねによって,人々の受け止め方も,きっとより前向きな方に変わっていくのではないかと期待しています。

【井田委員】

裁判員の役割は,事実認定と量刑です。事実認定について言えば,過去のある時点で起こったことを知るには,タイムマシンがあれば一番よいのですが,ないので,何とか証拠を集めてきて,その起こったことを実際と限りなく近い形で再現する,過去のその時点で起こったことと寸分違わないものを事実として明らかにしていく,こういうイメージを一般の人は持っていると思います。ドラマなどは,まさにそのような構成です。そしてこれと同じようなイメージで,専門家による事実認定を考えていると思います。もし,そういう考え方だとすれば,事実認定というものは,高い識見と優れた洞察力を持った特別な人,すなわち裁判官がやればいいので,民主的な基盤は全く要らないはずです。
なぜアメリカで陪審制度をやっているのか。よく言われていることは,過去にある真実が起こって,その真実を発見するのが事実認定だという信仰は,アメリカにはもともとないということです。過去のことを現在寸分たがわずに明らかにできるなどというのは幻想でしかない。今,わかる範囲内で,みなが納得できる形で,事実の再構成をするといったイメージで考えられているのだと思います。日本の古典的な事実認定のイメージは,起こったことに対応させて合致したものを見つけるというもので,「対応」の問題だとすると,アメリカの考え方は,むしろ「合意」の問題です。過去のことはわからないから,今,みなで議論をして,みなが納得するところで落ち着こうという非常にドライな感覚でやっているのだと思います。
そう考えれば,だれかに真実を発見してもらうというのではなくて,みなで議論をしてみなで合意を達成しようということになり,真理とは合意だという話になります。そうすると,民主的な基盤が必要になります。過去に起こったものを発見しようという信念,ないしは幻想みたいなものは,捨ててしまおうという前提で,アメリカの陪審制度はできているのだと思うのです。
ドイツでも,過去に起こったことを再発見しようという信念は,日本ほどはないと思います。法廷で行われていることは,法廷でわかる範囲内で,みなが納得できる事実を決めていきましょうという事実の再構成,事実を作るという考え方が強いのです。そして,そういう考え方は,アメリカではもっと強いのではないかということです。そういうものであれば,民主的な基盤が必要で,勝手に専門家がやってよいのかという話になります。
日本の場合は,真実はわからないものだから,作り上げていこうといった形では考えられていないと思います。確固とした真実があって,明らかにその事実を知ることができるという信念をみなが持っている。だから,必殺仕掛け人や遠山の金さんのようなドラマがはやるのです。
みながそのような信念を持っている以上,裁判員制度の必要性を説明されても,どうして我々が裁判をやるのかという話になってきてしまうのではないでしょうか。
ですから,戦略としてはしっかりしていても,なかなか成果が見えてこないのです。もっと抽象的な,理念的な部分を説明していくしかないと思います。今の裁判制度は,非常に緻密ですが,素人から見ればブラックボックスです。少しでも外から見えるものにしよう,わかりやすい言葉を使って,わかりやすい論理で,ブラックボックスを見える箱にするためのアプローチが裁判員制度であるということを一生懸命に言うべきだということになります。
他方で,刑事事件の持つ背景を理解することは非常に大事であるということは一般の人に分かっていただく価値のあることです。仮に,ある人がある人を殺したという事件でも,犯罪の原因の大きな部分は社会にあります。もし,個人に原因がある犯罪であっても,それを防げなかった社会の問題は幾らでも存在しているわけです。自分が犯人になる可能性はあるし,被害者になる可能性ももちろんあります。そう考えていけば,みなの問題であり,社会のいろいろな問題がそこに凝縮されているのだから,みなが関心を持たなければいけない。どう解決するのかについては,全員が知恵を絞って,そこに何らかの意見を反映させなければいけないのではないか。こういうことが正論として言えると思います。そこを広報で強調するのはよいことではないかなと思います。
制度の意義を説明するときに,事実認定はこうだと議論していくと,かえって隘路にぶつかってしまうのではないかと思うのです。

【戸倉審議官】

裁判がよくわからないという方には,この裁判は結論がおかしいのではないか,なぜこの事件はこういう結論になるのかといったフラストレーションがあると思います。結論だけではなくて,どういうプロセスで,どういう資料をもとに判断されているかがわからず,何でもわかる資料があるはずなのに,確固たる結論がでないのはおかしいというフラストレーションを感じている方がおられるかもしれません。
特に,刑事裁判はすべての資料を証拠にできるわけではありません。一定の法律要件を満たした証拠のみで判断します。それが裁判の事実認定だということは,判決でいろいろ説明するとか,報道機関に説明して報道していただいても,おそらく実感は持っていただけないだろうと思います。
裁判に参加していただき,証拠もきちんと見ていただいて,それをもとにみなが議論をし,感情や先入観といった,飛躍した議論では絶対に認定できないということを体験していただければ,今の裁判の結果についても考え方が少し変わるのではないでしょうか。また,結論的には納得できないけれども,こういう制度で,こういう手段でやる場合には仕方がないのではないかという理解も,出てくるのではないかと思います。
これも我々の説明責任でありますが,この観点は実際に体験していただかないと,言葉でいくら言っても,なかなかわかっていただくことは難しいと考えております。

【井田委員】

昔,日本でも陪審制をやっていました。ある裁判官がそのときの思い出話として放火の事件について書かれています。当初,放火罪の規定は,「火を放って家を焼いたときには」と書いてありました。その事件は,火は自分がつけたのではなくて,別の原因でついてしまったのですが,犯人とされている人がそこにいて,簡単に消せるのに,燃えたら保険金も入ってくると悪い気持ちを起こして,消さずに放っておいたら,家が全部燃えてしまったという事件です。ところが,陪審員はみな,犯人は火を放っていないではないかと言ったのです。裁判官は放っていないけれども,こういう場合に放火にしないとおかしいでしょうと言ったのですが,条文に「火を放って」と書いてあるので,この犯人には適用できないはずではないかと陪審員に言われて,非常に往生したという話です。
専門家だと,こういう場合にはこういう理屈で放火罪にするといった,暗黙の了解のようなものがあり,もう一方で,今まで当たり前のように勉強してきた,法律家にとっては常識になってしまった理屈があって,それらによって解決しているわけですが,素人というか,普通の方が「火を放っていないのではないか」という問題を提起してくだされば,専門家も改めて原則的な問題に気付き,一般の人を説得できるような理屈を考えていかなければいけない。場合によっては,専門家の理屈が間違っていると修正しないといけないかもしれません。そういうメリットもあるかもしれないと思います。

【河本総務局参事官】

先ほど吉田委員がおっしゃったとおり,国政参加は結果が自分に跳ね返ってくるし,行政も若干,自分に関わってきそうだと思われているでしょう。医者の場合は,自分自身が患者になるのだから,何をされるのかが自分に関わってくる。自分に関わるからこそ教えてほしいと思うのです。これに対して,裁判の場合は,他人の事件という意識があるので,それが自分にどう跳ね返るかを説明しないと,説明責任について国民の側からのニーズが働かないので難しいと思っています。
専門家の立場から見ると,裁判はわかりづらいと言われており,これからどんどん緻密になってくると,そういう度合いが強まるでしょうから,一般の人が横から見ていてくれれば,そういうところはなくなるはずであるというのが我々の思いです。
国民のニーズと,この専門家の思いをつなぐ議論が,どこかで必要です。井田委員がおっしゃったとおり,自分たちの問題であるということをどう実感として持っていただくか,どんなメリットがあるかをきちんと言わないと,広報をする側も困るし,受け取る側もいったい何だろうと思われるでしょう。
難しい問題なので,制度が始まってもなかなか実感していただけないこともたくさんあるかと思います。

【鬼澤刑事局参事官】

私が見たフォーラムでは,パネリストが「裁判員制度は時期尚早である。なぜかというと,日本人は自分でまだものを考えるようになっていない。上から言われたものをそのまま受け入れるけれど,考えるようになっていないから,時期尚早だ。」ということを結構強く言われました。また,別のフォーラムのパネルディスカッションでは,「こういったことを導入することによって,国民自身も自分でものを考えて,自分で決断しなくてはいけなくなる。」ということを言われました。これを聞いて,あるパネリストが出した疑問について別のフォーラムで答えが出されたような気がしました。
もう1つ,最近,司法制度改革審議会の報告書を見直す機会があったのですが,理念を見ると,日本人は自分で考えて,自分で生き生きと活動をするのだから,自分でものを考えて活動をするための改革なのだとありました。そうであるなら,広報でも日本が元気になるための制度なんだと言ってはいけないのかなと最近思い始めているところです。

【平木委員】

報道されるものだけでは,その裁判の何がどうなっているかはわかりません。疑問に思ったり,不思議に思ったりすることは,たくさんあると思います。
だれにとってもわかりやすい裁判,できるだけ迅速な裁判,皆さんとともにやる裁判だという,この3つの標語でPRをしていらっしゃいますが,1つ目の,だれにとってもわかりやすい裁判という部分は,具体的に工夫していらっしゃることを知らせてはどうでしょうか。今までこの裁判はこんなふうにわかりにくかったけれど,こんなふうにわかりやすくなりますなどの例があると,ピンと来るかもしれないという気がしています。例えば,場所がこんなふうに変わりますでもよいですし,言葉がこんなふうに変わりますでも良いと思います。今までは言葉で説明していたのがパネルになりますとか,実際工夫をしていることを伝えると,わかりやすいと思います。そして,このような工夫は,あなたたち自身の問題として考えることができるようになりますといったことを今後のPRで伝えていくとよいと思います。

【戸倉審議官】

いろいろな新聞でも,検察官がスクリーンを使って実証したなど,法廷のビジュアル化の報道がされているところですが,平木委員がおっしゃったように,もう少し具体的な工夫点をアピールしなければいけないと思っています。
工夫といえば,裁判の中で専門用語を多用してはだめだということは,我々も認識しています。弁護士会も,言葉の言い換えを試みたりしています。今後,どのような形が一番よいのかを試行錯誤し,それをいろいろな機会に提示しながら,御意見を伺う必要があると思います。
裁判のやり方についても,模擬裁判を全国で行って,これではわからないだろうということを突きつけられて,いろいろ工夫しているという段階です。模擬裁判についての報道は,遺憾ながら大変だったということがポイントになってしまっています。やはりわかりにくい。そういう意見が出ていて,道まだ遠しというところです。
これはおっしゃるとおり,我々の努力を伝えていくことを今後どんどんやっていきたいと思います。

【平木委員】

井田委員がおっしゃったように,人の認知は認知であって,真実ではないということを分からせることは,難しい作業です。そこは延々と伝え続けるしかないのではないでしょうか。

【渡辺委員】

マスコミのあり方も問われると思います。新聞の社説やテレビのコメンテーターの発言などを見聞きしていると,「法廷の場で真相を解明してほしい」という注文や意見がしばしば出てきますが,私はそういうことは絶対に書かないようにしていました(笑)。最後の最後,とりわけ犯行の動機に関する部分は,本人でも分からないところがある。もちろん,それを知りたい,解明してほしいという社会の期待は当然ありますし,裁判手続だからこそ見えてくる部分もあるので,初めから「真相なんて解明できっこない」と切り捨ててしまう話ではないけれども,裁判といえども一定の限界がある中での営みなんだということについて,国民の合意なり共通認識なりを形成していくことが大切だろうと思います。
実際に裁判員に参加した人たちが,「裁判の手続とはこういうもので,我々も一生懸命にやったけれどもここまでしか認定できなかった」ということを伝える。それを聞いた人々が,「素人の国民が入るからちゃんと認定できないんだ。だから司法参加なんてダメだ」と思うのか,それとも「我々の仲間が入ってそれだけ議論しても,ここまで迫るのがやっとだったのだから,それでよしとしなければいけない」と思うのか。いずれにせよ,経験を重ねる中で共通認識を醸成していかなければいけないし,結果として後者のようなところに落ち着いていくのではないかという気はします。

【鬼澤刑事局参事官】

事実認定ができるかどうかについては,具体例を示すなどして説明していけば,みな事実認定をできるものなのだということを分かっていただけるのではないかという気がするのですが。

【井田委員】

実務の方は,殺人の場合,動機を問題にします。それは公的な説明としては,「殺人罪に対する刑は,死刑からかなり軽い懲役刑まであるから,その中でどの刑を決めるか,量刑するかについては,動機まできちんと解明されていないとだめなんだ。だから,動機までちゃんと明らかにするのですよ。」という説明だと思うのです。一般の方は,動機はともかく,「殺しているのだから,それでいいじゃないか。分からなかったら,無理しなくていいじゃないか。」と思うかもしれません。

【戸倉審議官】

動機は完全に心の中の話ですから,本人が話している以上のことは分からない。供述調書という断片的な裏付けはありますが,本人がそうだと言っているから,そうなのだとしか言いようがない部分もあります。
これまで,裁判所は,動機や背景も認定し,捜査官もそこが最終的に適正な量刑のために重要だという形でやってきたのではないかと思うのですが,そのような場合は,被告人が法廷で「あれは違います。」と言ったら,あっと言う間にひっくり返ってしまうのです。精密司法と言いつつも,そういう危うい部分もあって,難しいのです。
もう一つは,証拠はあるけれども,非常に難しいという事件もあります。例えば,重大事件のとても複雑な鑑定ですと,医学などの専門用語を満載した,何百ページとあるような鑑定書が証拠に出てくるのです。
これをきちんと理解して,結論はともかく,判断関係をそこまでよくやりなさいと言われたら,裁判員制度では現実問題として無理だろう思われます。

【河本総務局参事官】

法定刑の幅は広いものですから,動機の重要性は今後変わらないと思います。ただ,今までの動機の調書は,検察や警察という環境の中で作られたもので,もう1回考え直してみると違ったのではないかという場合が出てきて,公判で供述がひっくり返るということがあるのです。裁判員裁判では,裁判員の方が法律家と違う疑問を持つことで,考え直してみるケースが出てくるかもしれません。

【平木委員】

特に被害者側にしてみれば,動機は,自分たちの気持ちをおさめるために重要です。最終的には,被害を回復できなくても,その人を許せるか,許せないか。許さないと,自分たちのその後の安定した生活はなく,ずっと恨みながらでは生きていくことになるわけです。どうにかして自分たちの生活を安定させるためには,少しでも許せるものがほしい。それが動機を知ることと深くつながっており,だからとても大切だと思うのです。

【戸倉審議官】

裁判の鉄則である,「裁判は証拠に基づくものだ」という最低限のポイントを必ずしも理解せずに,いろいろな不満とかフラストレーションを感じておられることはありますが,これは裁判を見ていただくことによって,必ず御理解いただけるだろうと思います。これが積み重なることによって,国民の裁判に対する不満が減り,信頼性がさらに強固なものになっていくでしょうし,分かりにくい審理というイメージはなくなっていく,そういった効果を我々はかなり期待しております。
裁判官は,本当は制度導入は嫌がっているのだろうといった意見もありますが,裁判員制度をきっかけに,裁判所全体や法曹三者で突き詰めていろいろ考えていくことは,裁判のありように非常にプラスになり,最終的には国民に還元していくものだという認識が,広まっていくと考えております。

【鬼澤刑事局参事官】

この間,最高裁内部で実験的な模擬裁判を行い,私が裁判長をやらせていただいて,実際に法律の素人の方々6人と3日間,審理しました。訴訟指揮のやり方を裁判員の皆様が理解できているだろうかと確認しながら審理を進めるよう心がけましたが,ポイント,ポイントで,一つ一つ説明し,分かりやすい裁判をしなくてはいけないという説明責任をガーンと目の前に突きつけられたという感じでした。
これまでは,分かりやすい判決を書けばよいではないかという,非常に遠い説明責任だったのですが,目の前にいる人に分かってもらわなくてはいけないというのは,非常に大きな説明責任だと切実に感じます。
そういう意味では,一般の人たちが考えている以上に,裁判員裁判の裁判官に対するインパクトは,ものすごいものがあるのではないかと思います。

【篠田委員】

先ほどから説明責任と言われているのですが,医療などの説明責任と違い,裁判では自分が患者ではないのです。もう一つ,医療の場合は,自分が当事者でなくても,明日は我が身という思いが必ずあるのですが,刑事裁判の場合ですと,民事と違いまして,明日は我が身の感覚というのはないのです。普通の人には,分かりにくくて,納得のいかない,他人ごとであるところの裁判がたくさんある。あくまでも他人ごとなのです。自分が被害者になるかもしれないけれど,加害者になるとは,だれも考えていないだろうと思います。
そういう中で,どうしてもネックになってしまうのは,「法律は通ってしまったし,裁判の参加は仕方がないだろう。それにしても,会社を休んで行って,法廷で審理を聞いて,自分が評決権を1票持って,判決に加わらなくてはいけない。なぜ判決にまで加わらなくてはいけないのか。裁判を知るためであれば,参考意見を述べるに留めてほしい。判決に加わるのは嫌だ。」という,この一線を乗り超えるような論理はどのようなものかという話になるのだと思います。

【井田委員】

せっかくそこまでして裁判所まで行って,1票がないのでは,不満に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか(笑)。ただ単なる参考意見を述べるだけでは,国民は裁判所に行く気にならないと思います。

【戸倉審議官】

司法制度改革審議会のときに,憲法で裁判官による裁判を受ける権利が保障されていることからすると,裁判員に評決権を認めるのはやや疑義があるという意見が出ましたが,そのように中途半端な状態ではなく,参加する以上は,裁判員も1票を持って,裁判官と対等の立場でやるべきであるとの意見も出ました。つまり,まさに義務と責任。権利と義務は裏腹にある。そういう人でないときちんと意見も言えないのではないかということで,かなり議論されたテーマです。
この話は尽きないので,具体的な広報計画の御意見を伺う中で,適宜,御意見を織り込んでいただければと思います。
次に,平成18年度の広報計画について,御意見を伺えればと思います。

【河本総務局参事官】

広報計画を考える前に,制度導入までに大きくどのような流れになっていて,来年度はどんな位置付けかをまず御説明いたします。
資料2を御覧ください。この表は,一番左に手続検討状況等があります。具体的に裁判員裁判の手続の検討状況がどのようになっているかと,その周辺状況について書いてあります。
右に広報活動が書いてあります。オレンジのラインは,各時期ごとの広報の位置付けや意義について書いてあります。
手続の検討ですが,平成18年度は,現在行っております,選任手続に関するアンケート調査の結果を踏まえた検討がかなり進む見込みです。
また,右の広報活動の欄に,緑色の矢印で書いた模擬裁判を継続的に各地で実施することによって,裁判の公判手続や評議のイメージが,さらに具体的になっていくということが予想されます。つまり,18年度は,制度の内容が具体的になっていく段階なので,制度そのものの周知だけではなく,中身を作りながら広報活動を展開することになり,オレンジの枠で囲んだ中に書いたような基本スタンスで,各地の裁判所でじっくりと取り組むという広報企画を練ってみました。
資料3-1の絵が全体のイメージで,資料3-2で個別の企画内容を御説明しています。
資料3-1の説明会と模擬裁判ですが,メインイベントを国民の皆様から参加しやすい裁判手続の運用や環境整備について御意見を伺うことを目的としました説明会と,模擬裁判の二つを中心の企画にすえ,これらから得た検討の結果を総括して,広く知っていただくために,全国統一の内容で行う全国一斉イベントとして,今年度のフォーラムのようなものを実施したいと思っております。
実施の時期を申し上げると,資料2の広報活動の欄にある模擬裁判,その横の説明及び意見聴取,そして,これは少しサブ的になるのですが,出張講演会,裁判所見学,説明会,そして全国一斉イベントを平成19年1月から3月にかけて一斉にやっていく,このようなことを考えています。
このような企画を効果的に実施するための広報ツールとして,資料3-1の左のオレンジで囲った部分にあるとおり,映像資料をさらに充実させます。それ以外にも,参加していただいた方のお手元に説明内容を残すための,お土産的なものとして,冊子類,グッズなども考えています。
さらに,メインにすえた説明会,模擬裁判及び全国一斉イベントに興味を持っていただき,制度内容の理解や参加意識をより一層深めていくために,平成17年度に引き続き,新聞や雑誌での広告,映画が始まる前に上映するためのメッセージ映像,インターネットを利用した各種の広報活動といったものを展開して,国民の皆様がほしいと思われる情報や,今後,制度の検討が進むに従って新しくお伝えできる情報を発信していく,このように計画しています。

【戸倉審議官】

予算規模で見ますと,平成18年度は,平成17年度と同規模です。雑誌広告などでは,制度の説明のほかに,裁判官にいろいろな形で親しみを持っていただく,裁判官は雲上人ではなくて本当はこんな人ですよということができるだけ伝わるように企画しました。これは比較的好評だったのではないかと思っています。
こういった,17年度の広報活動に続く18年度の広報として,今御説明したような内容を考えています。
ただし,中身を具体的にどう盛り込むかは,先ほど来の議論を踏まえて,そのときどきの検討の進捗状況なども盛り込みながら,検討していくつもりです。18年度をどういった視点でやればよいか,その辺りについて,御意見を伺えればと思います。
ここには書いていませんが,法務省も,法律上,広報を我々と一緒にやるということになっています。大きな切り分けとしては,制度全般を広く国民に伝えていくという広報は,基本的に法務省が行うことになっています。
我々裁判所は,どちらかというと,制度の中身や裁判の現状といったものを地道に伝え,各地域で非常に細かく行うという広報を行うという分担になっています。

【渡辺委員】

この1年の広報を拝見して感じたことを率直に申しますと,裁判所,内閣官房,法務省がそれぞれ何をやり,弁護士会がそこにどう絡んでくるかが,よく分かりませんでした。裁判所がフォーラムを開く1週間前だったか後だったかに,同じ場所で,政府が同様に裁判員制度関連の大規模な集会を開くということもありました。もったいないことをするなあという気がしました。
なかなかすり合わせができない部分もあるのかもしれませんが,どのような全体像を描き,その中で,それぞれの役割をどう切り分けて,お金と人をどう使うのかをさらに詰めるべきではないでしょうか。
また,先日東京で開かれたフォーラムを拝見しました。非常に熱心にやってらっしゃるのはよく分かりますが,第一印象は「壇上に座っているのは法律家ばかりだな」というものでした。法曹三者,刑事訴訟法の学者,さらにいえば司会も制度設計に関連したマスコミ関係者でした。パネリストとして出ている普通の市民は3人だけで,裁判員裁判の裁判体と構成が逆ではないかと思ったものです(笑)。
イベントの趣旨,構成,規模,法曹三者の協力のあり方など,検討すべきことはいろいろあろうかと思います。東京フォーラムの1回だけ見た印象として申しますと,だれのための広報なのか,正直言って,まだ法曹三者のための広報のような気がしてしまったものですから,さらに議論を詰め,おっしゃるところの「切り分け」をうまくやって,全体像を構築していただければと思います。

【吉田委員】

選任手続に関するアンケートは,具体的にどういう人を対象に,どういうことについて調査しているのですか。

【鬼澤刑事局参事官】

全国の無作為に選ばれた約8,300人の国民の皆さん一人一人を訪問して,御協力をお願いしました。制度に関する資料を読んでいただいた上で,アンケート用紙に記入していただき,もう一度回収のために訪問しました。もっとも回収率が高いそうなので,この方法をとったのですが,今のところ5,000通ほど回収できそうであると報告を受けています。
アンケートの中身は,裁判員裁判に参加するに当たって,主にどのような障害があるのかを知るためのものです。仕事が忙しいとか,介護があるから裁判所に来られないとか,抽象的にはいろいろ議論されていますが,そのような方々が,全国民の中で何パーセントくらいいらっしゃるのか。それをできる限り正確に把握したいのです。また,もし裁判員に選ばれた場合には,例えば,3日間の審理なら,その期間は裁判員として裁判に参加していただくことになります。そうすると,その3日間は裁判員として刑事裁判に参加するため,仕事などのスケジュールを調整していただかなくてはいけません。そのためには,国民の皆さんはどのくらい前から計画を立てるのか,もし参加するとしたら,どのようなペースで公判の期日を入れた方がより参加しやすいのか。そういった点を重点的に聞いています。このアンケートの結果を見た上で,どのような人に,どのような不都合があるか。あるいは,選任手続のとき,何人くらいの方々を呼び出せば,きちんと必要な人数の裁判員を選べるか。できる限り最低限の人だけに,裁判所に来るという御迷惑をおかけして,かつ,しっかり参加できる方に裁判員をやっていただきたい。そのような制度設計のためのアンケートです。

【吉田委員】

そのアンケート結果を踏まえて,手続をこれから作っていくわけです。つまり,現段階では,制度を作って,これからこんなことをしますよという広報をしようということですね。

【鬼澤刑事局参事官】

今は制度の中身を作りながら広報していく期間ですので,まさに国民のみなさんからいただいた御意見を検討した結果をフィードバックすることを繰り返すことにしています。

【河本総務局参事官】

このアンケート調査は,スケジューリングのニーズ調査の意味が非常に大きいのです。その結果をある程度制度設計に反映することになりますし,もちろんそのままになるかも知れません。様々な御意見があるでしょうから,それらを踏まえた結果,制度の具体的なイメージを組み立てることが,まず第一の目的です。今後,説明会や全国一斉イベントでも,御意見を聞いていきます。その途上で,徐々に具体化していく制度のことをきちんと裁判所の側から国民のみなさんに発信していくという形にしたいと思います。

【吉田委員】

平成18年度は,平成17年度に比べて,かなり具体論に入っていくということになりますか。

【鬼澤刑事局参事官】

平成18年度中には,制度の具体的な骨子が相当に固まるので,広報の内容も具体的になると思います。

【吉田委員】

具体論を言えば,国民にも分かりやすいはずですね。自分にどう関わってくるかという問題が,直に感じられるということですから,結構なことではないかと思います。

【鬼澤刑事局参事官】

新聞社などが行っている世論調査は,抽象的に質問するだけですが,今回のアンケートでは,制度を簡単に説明したパンフレットを読んでいただいて,制度をきちんと理解していただいた上で,回答していただこうということになりました。裁判に参加したいですかという,抽象的な質問から始まり,参加できないという場合には,障害になることは何ですかという質問で,具体的な理由の回答を求めています。連日公判を開いた場合に,何日くらいなら参加できるか,もし差し支えある場合には,その理由は何かなどを突っ込んで聞いていくという内容です。

【戸倉審議官】

平成18年度に我々が考えていることは,このアンケートに象徴されるように,裁判員制度とは,具体的にどのようなものになるのかという不安を持つ国民の皆さんに,裁判員制度を一方的に作って,押しつけるというやり方をするのではなく,その具体的な制度設計に,国民が参加するという前提で,参加しやすいものを作るということです。
国民の皆さんが参加する上で,ニーズが高いことであれば,場合によっては裁判員法等,法律の改正も考慮の中に入れていかなければならないでしょう。そういうことも我々は考えておりますということを広報で伝えていくのです。まだ制度の中身はできていませんが,そのような手法を伝えていくということも,参加する国民の側から見れば,自分たちを無視した制度設計をしているのではなくて,ある程度反映してくれるのだという,安心感につながるかとも思います。参加しやすい仕組みづくりのプロセスを節目節目で明らかにして,その都度御意見を聞き,それをフィードバックして,またそれを制度設計に反映していくということを考えています。裁判員裁判の手続については,模擬裁判を繰り返して,いろいろな形で国民のみなさんに御覧いただいて,体験していただき,その御意見をまた反映していく。そういう手法をとって,それをこの広報でもアピールしていこうということです。

【吉田委員】

手続はどのような形式で決めるのですか。政令ですか,最高裁規則ですか。

【鬼澤刑事局参事官】

最高裁規則です。

【戸倉審議官】

政令で決める事項もあります。

【渡辺委員】

アンケートでみなさんの声を聞きながら制度を作っていきます,ということ自体が広報すべき大きなテーマだと思います。制度づくりの段階ところから国民に参加してもらう,ということをもっとアピールしてもいいのではないでしょうか。これまでの最高裁規則の制定とは発想もやり方もまったく違う。とても意味がある話だと思います。

【戸倉審議官】

このアンケートは,全国の調査ですが,各地で行っている説明会等では,自治体や経営者等,制度に利害のある方に説明する際,地域や企業の環境はそれぞれ違うので,その実状を伺い,それをまた最高裁にフィードバックしていくということも想定しています。

【渡辺委員】

地域によって,個々の事件によって,あるいは裁判員の求めによって,毎日開廷にしたり,週に何回かに絞ったりという具合に,対応を変えることもあり得るのですか。

【戸倉審議官】

農業など,季節によって参加のしやすさが違うようなところでは,その事情を念頭において決めなくてはいけないでしょう。事件ですから,時期を問わず来るものは来るわけですが,それをどういう形で個別事件の選任手続に反映する余地を残すか。技術的にも難しい問題はあるかと思いますが,まずその前提としてのニーズを把握しておく必要があると思っています。

【吉田委員】

裁判員制度の細かい点は別にして,裁判員制度が動き出すこと自体は,国民にだんだん浸透してきているのではないかと感じています。その辺りを知るために効果測定も予定しているのですか。

【戸倉審議官】

今年は効果測定をする予定ですが,今のところは行っていません。

【河本総務局参事官】

裁判員制度は,高校生の入試にけっこう出ているらしいのです。有名私立大学の入試に出題されることが一番効くみたいです(笑)。

【井田委員】

高校の教科書にも載せればよいのではないでしょうか。

【戸倉審議官】

ところで,平成18年度の広報計画は,平成17年度の延長線的な素案を立てました。さらに,平成19年度では,制度開始の2年前,平成20年は直前広報ということで,かなり本格的な広報に変わるでしょう。そこにつなげる平成19年度広報という連続の中で考えますと,どのような点で広報のターゲットなり,中身なり,手法が変わるか。その辺りを併せて御意見を伺いたいと思います。
例えば,テレビは,業界用語で言えば,リーチが長く,かなりいろいろなところに浸透するのですが,いかんせん文字情報ほど大量の情報は,なかなか伝えにくいツールです。ドラマ仕立てにすると,大変なお金がかかるし,スポットを買う形であっても,どれだけ大きな広告ができるか,厳しい面もあるかと思います。その辺りをどう活用して,どう取り組んでいくか。お金がかかりますので,どこまで税金を使えるのかということと切り離せません。

【平木委員】

政府広報がときどき出ることがありますね。あれはとても高いのですか。

【大須賀広報課付】

政府広報番組は,内閣府の政府広報室が一括して予算を持っていますので,あの枠で放映するなら,政府全体としてはお金がかかっているわけですが,裁判所自体にはお金はかかりません。ただ,2,3分しかないので,制度の詳細はとても伝えきれません。

【平木委員】

それでは,政府公報番組であれば,テレビで広報できる可能性はあるわけですね。

【大須賀広報課付】

毎月のように取り上げてもらえるよう,エントリーしているのですが,順番がなかなか回ってきません。

【戸倉審議官】

施行時期が近づいてくると,優先順位が上がるのではないかと思うのですが。

【河本総務局参事官】

裁判員制度は,平成21年から開始します。裁判員候補者名簿の調製が始まり,名簿に登載されたと通知が行ったときに,受け取った方がびっくりされるのでは困るわけです。

【吉田委員】

今のままではびっくりする人が出てくるのではないでしょうか。
説明会をやったり,映画やアニメーションや漫画を作ったり,ブックレットを作ったりと,方法はいろいろあります。それぞれのツールによって,伝えるべき内容は,当然違ってくるのでしょうが,アンケート調査の結果にあった否定的な意見にも,どこかで答える必要があるのだろうと思います。
広報の中で,分かりやすい裁判,迅速な裁判を実現するということを伝える,これはそのおりだと思いますが,もう1つそこに加わるものがほしいのです。専門家だけでやるのではなくて,一般の人が入ることによって,裁判はこうなりますよというようなものがあればよいと思います。ドラマなどであれば,そういうところが出せるのかも知れません。迅速で分かりやすい裁判は,よいことではありますが,裁判員制度を導入しなければ,絶対に実現できないものでもない。それ以外のプラスのメリットがあればよいと思うのですが。
例えば,犯罪の動機の解明についても,専門家と一般の人とでは,それぞれ見方がちょっと違っています。ものがわかってくる過程を抽象的に描いたのでは,面白くないのですが,そのようなプロセスの面白さも,ドラマなどなら多少出しやすいものかも知れません。

【篠田委員】

予算をつけて,こういうものが始まります,こういう制度です,このようなよいことがあります,という広報をするのも大変よいと思いますが,政府のスポット広告を見ても,あまり印象に残りません。どれだけ印象に残るようなものにするかということの方が重要です。時間が長いもの,予算をかけたものがインパクトを与えるかというと,必ずしもそうでもないのではないかと思います。特に印象に残らないものの代表は,清く正しく,当然のことを言っているものです。肯定的な情報をいくら流しても,当事者である国民にとっては,あまり印象には残らない。見た人に葛藤を起こさせるような内容のものや,社会的に議論を起こすようなものを出していった方が,認知度は高まってくる。議論を起こした上で,いかにこの制度がよいものかという結論を導き出せればよく,まずは議論を起こさせるということが先ではないかと思います。
先ほどのアンケート結果にも出ていましたし,御説明もあったと思いますが,日本人はものを考える国民性ではないというようなとんでもない意見も出てきました。そのようなパネリストをもっとたくさん起用するのもよいと思います。そのような意見に対しては反発が起こるでしょう。逆に,そのとおりだという人もいる。こういう形での,内面的な葛藤などがないと,なかなか国民の心には引っかかってくれないのではないでしょうか。反対意見,批判的な意見を述べるようなパネリストを意図的に入れ,論争を起こさせるのも一つの手段で,たとえばそれをテレビなどでも取り上げる。テレビで広報し結論は出さず見た方にその先は考えていただく。その上で,いかに建設的に議論を進めていけるかということではないでしょうか。
また,自分自身が参加するという意識がなかなかないときに,先ほどのアンケート調査を行っていること自体が効果的だというご意見がありましたが,まさにそのとおりです。あるものに対して自分が○をつける。その行為によって,否応なく関心を持っていかざるを得ないし,自分の態度がはっきりする。アンケート調査の利点は自分から行かなくても向こうからやってきて,○をつけさせられるということです。自分から進んで参加するというわけではありませんが,この強制的な面は効果があります。短い文で御意見を書いてもらうような内容のアンケートを,影響力のありそうな方々を対象に行うのもよいのではないかと思います。自分がある問題について何か書くと,人に向かっても言いたくなるものです。影響力のある層を対象にそのような調査を行うというのは,戻ってきた意見を参考にするというよりは,その調査自体が,議論を喚起し,多くの方に関心を持ってもらうという効果を持つものとなるのではないでしょうか。

【戸倉審議官】

今回のフォーラムは,各地で自由にパネリストを選んで行いました。反対意見がかなり出たところは,確かに議論が活発でした。パネリストが全員が肯定的な意見を言って,聴衆に話すのは,やや押しつけがましいという印象を持たれるようにも思います。

【篠田委員】

そんなのは嫌だ,という否定的な立場から議論に参加していただき,討論を通じて本当の姿を知ってもらえれば,それでよいのではないかと思います。

【渡辺委員】

電車内の広告で,こちら側の扉に問題が書かれていて,答えは反対側の扉を見てください,といったものがありますね。例えば,先ほどの例でいえば一方に「こんな声が寄せられています。『日本人は考える力がない。裁判員制度は破綻する』。あなたはどう思いますか」,そして反対側のドアには反論がのっている。そんな形なら,印象に残ると思います。
長谷川京子さんを起用した広告は,非常にきれいで,見ている人がスーッと入っていけた。これはこれでよいのですが,時を見て,篠田委員がおっしゃる「葛藤」を引き起こさせながら,国民一人ひとりに考えてもらう広報を展開する方法もあると思います。やり方を誤ると大変なことになりますが(笑)。

【戸倉審議官】

確かに,毒のある広報もしないと,キャッチできないかもしれません。今度,法務省と一緒に作った相田みつをさんの揮毫された「その時自分ならばどうする」というポスターも,そのような視点からは面白いですね。
今日は有益な御意見をいただきまして,ありがとうございました。平成18年度も頑張って,よりよい裁判員制度の実現を目指したいと思います。難しい課題ですが,今後も御指導のほどよろしくお願いします。